卒業生

50歳から執筆活動をスタートし、4作目となる『アイミタガイ』は映画化も!10代、20代の経験を基に、生き生きと毎日を楽しむ

文学部 仏語学仏文学科 1980年3月卒業
中條 ていさん(2024年12月取材)

南山大学在学時に、フランス語弁論大会で優勝したり、シューベルト観光団のヨーロッパ旅行に参加したりするなど、様々な経験を積まれた中條さん。卒業後、名古屋大学医学部第一生化学教室に勤務するも、結婚を機に退職。2人のお子さんに恵まれ、専業主婦として家族を支えてこられたそうです。そんな中條さんですが、友人と実兄の死をきっかけに執筆活動を始められ、4作目となる『アイミタガイ』は2024年に映画化もされました。
今回は中條さんに、執筆活動への思いやその基となっている大学時代の経験などについて伺いました。

 

―まずは大学時代、どんな風に過ごされていたのか教えていただけますか。

振り返ると、大学に通っていた4年間は、人生で一番本を読んだ時期だったと思います。あの頃は下宿する人なんてほとんどいなかったんですよ。私も遠方から片道2時間かけて通っていて、電車の中で文庫本を読むのがお決まりの過ごし方でした。後にも先にも、あんなに読書をしたのはあの頃だけです。

 

▲コロシアムにて

―フランス語弁論大会やフランス語劇など、様々な経験をされたと伺いましたが、一番の思い出は何ですか?

一番といえば、やはり「シューベルト観光団」に参加してヨーロッパ旅行をしたことですね。ロゴスセンターにいらっしゃったドイツ出身のシューベルト神父が、毎年夏になると企画してくださっていたもので、2ヵ月ほどヨーロッパに滞在しました。ギリシャから入ってイタリア、スイス、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダと、全部で7ヵ国。シューベルト先生が神父さんだから、普通の観光地だけでなく、一般の方が入れないような地下教会を案内していただいたり、ホームステイも経験させていただいたりと、とても充実していました。

特に思い出に残っているのが、少しの間観光団の皆さんと別れて、フランスで4人の仲間と過ごしたこと。地図を片手に街中を歩いて、市場で人参サラダを買って…という経験を通して、はじめて「生きている」という自由な感覚を味わいました。今でも目を閉じると、あの時見た教会や街並みがありありと浮かびます。

 

▲左:ギリシャ、右:ノルマンディーにて

 

―とても貴重な経験をされたのですね。ほかにも大学時代にやっておいてよかったことはありますか?

南山大学では必須科目として、キリスト教概説やキリスト教思想を学びますよね。あれは本当に為になる!世界の人々には宗教的なものから影響された考えの基盤があるんだということを学び、日本人との違いについてもとてもよく理解できました。授業中に泣いてしまうこともあるほど強く影響を受けましたし、「信仰がこんなにも心の支えになるんだ」ということも知りました。この時期に学んだことは今もしっかりと、自分の中に根付いていると感じます。


―卒業後は名古屋大学に就職されたと伺いました。

仏語学仏文学科 名誉教授の木村太郎先生がパルムドール賞を受賞された記念の日、私たち仏文学科の有志はフランス語劇を演じていて、そのご縁でレセプションにも参加させていただきました。その折、たまたま名大医学部の教授と知り合い、お誘いを受けたのがきっかけでしたね。フランス語が分かる人材が欲しかったそうで、結婚までの間お世話になりました。


―2008年に『ヴァネッサの伝言』を自費出版されましたが、小説を書こうと思ったきっかけは何でしたか?

友人の死を機に、何かやれることはないかと考えるようになりました。同年代で亡くなった方がいるのに、私は専業主婦で子育ても終わって、のんびり家の中で過ごしている―なんだか申し訳なくなってしまって。知人に相談してみたら、「自分が得意だと思うことをやっていけばいいよ」と言われ、漠然と「文章を書く」ことを意識するようになりました。そんな時に兄が亡くなり、80歳になった両親を慰めるために小説を書くことにしたんです。兄の死を悲しむよりも、彼がどんな風に生きてどんなことを楽しんできたのか、そっちの方を見てやってほしいという思いがあったんですね。ただ、口で伝えても分かってもらうのは難しいと感じ、物語に託してそれを伝えようと考えたのがきっかけでした。

 

―小説を書いたのは、その時が初めてだったんですよね。

はい。大学時代にたくさん本は読んだけれど、それまでは自分で書いてみようなんて思ったことすらありませんでした。私自身、もともとはすごく慎重な性格で、石橋を叩いて叩き壊してしまうようなタイプ。けれどあの時ばかりはなぜか、自分が書いた本が書店に並ぶイメージがはっきりと浮かんできたんです。何かに急かされるような感じでした。

原稿が書き上がり、さあ本にするぞと思ったところで、やり方が分からない。慌てて調べたのですが、素人が書いた作品がそのまま本になることはないと知り、愕然としました。最終的に自費出版というのを知り、無事出版することができたわけです。

 

▲中條さんが執筆した書籍
 

―ご両親の反応はいかがでしたか?

「小説を書いている」と伝えた時、父は驚きながらも喜んでくれたんですが、母はグサッと一言「アホなことはやめとき」と(笑)。書き始めた時には私も50歳になっていたので、そんな言葉にめげることなく、「絶対にやり遂げてやるぞ」と逆に燃えましてね。何としても本にしたい!と思ったのも、母が理由です。原稿の状態で渡したのでは、おそらく読んでももらえなかったでしょう。

『ヴァネッサの伝言』を書き上げて出版したことは、やはり両親にとっては良かったと思います。残っている子どもが活躍している姿を見て、少しは気が紛れたり、励まされたりしたんじゃないかなと。

―今回映画化された『アイミタガイ』についてもお話を伺えればと思います。

『アイミタガイ』を書こうと思ったのは、南山大学で学んだことと関係があるかもしれません。あの頃、西洋の思想を学んだことで、逆に日本人はどうなのかっていうのが見えてきた部分があって。それで子どもの頃に一緒に住んでいた祖父母から「相身互い(アイミタガイ)」という言葉を聞いたことがあったのを思い出したんです。日本人らしい思いやりとか、人と人との関わり方を表していて、すごくいい言葉だと思っていて、もう少しこの言葉を伝えたいし、長生きさせたいとペンを手に取りました。

 

▲『アイミタガイ』のプレミアム試写会
 

―『アイミタガイ』の映画化について、お話がきたときはどう思われましたか?

最初に出版社の方からお話をいただいた時に、「途中で話がなくなってしまうこともよくあるので、期待しすぎないでくださいね」と釘をさされていたので、正直映画化されないんだろうと思っていました。それが10年という年月をかけて今回実現されたということで、うれしいのはもちろん、関わってくださった皆さんに感謝しています。

本音を言いますと、原作以下でも嫌ですけど、原作以上の出来でも悔しいなと思っていたんです(笑)。実際に映画を拝見すると、登場人物の中学時代のエピソードが加えられていたりして、正直、かなりやばかったですね。キャストの皆さんもイメージ通りだし、見事な脚本と撮影で、今は勝ち負けなしに拍手です!

―『アイミタガイ』の中にピアノのエピソードがありましたが、中條さんご自身もピアノを習われているそうですね。

はい。長男が中学受験を終えたタイミングで、コツコツ頑張って上達することがやりたいと思い、40歳の時に習い始めました。ピアノを始めたことは、大いに執筆に繋がっていると思います。子育てしている間は子ども中心の生活でしたが、ピアノに向き合うことで自分の時間を持ち、さらに音楽を感じるという情操面が活発になったことで「思考する」楽しみを取り戻せた気がします。子どもの世界から、大人としての私の世界に戻るきっかけでしたね。

 

 

▲ピアノの演奏会


―最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。

10代、20代と、何をしたいのか分からないまま生きてきましたが、その頃に出会ったもの、見聞きしたものが50代から意味を持ってきました。今、学んでいる知識や経験する悲喜こもごもは必ずあなたの糧となり、いつの日かあなた自身を輝かせてくれるから、とにかく何でも吸収するつもりで、大学生活を精一杯楽しんでください。

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