学生時代のたくさんの経験を糧に、社長のミギウデとして日々奮闘!幅広い業務に精力的に取り組む
総合政策学部 総合政策学科 2018年3月卒業 船橋株式会社 企画課
大谷 真奈美さん
「今しかできないことをやりたい!」と、在学中は大学祭実行委員をはじめ、たくさんのことにチャレンジしたという大谷さん。好奇心旺盛でフットワークが軽く、南山大学の総合政策学部へと進学を決めたのも、「幅広くいろいろな学問を学べるところ」が魅力的だったと話します。現在は「社長のミギウデ」という、少し聞き慣れないポジションで幅広い業務に取り組んでいるそうです。
今回は大谷さんに、大学時代に夢中になったこと、現在のお仕事の魅力ややりがいについて伺いました。
―在学中は大学祭実行委員会に所属されていたそうですね。
はい。思い返すと高校時代にも学校祭実行委員をやっていて。仲間と一緒に準備をして創り上げていく過程が好きなので、大学祭実行委員会には3年生で引退するまで所属し、副委員長とステージ企画部の部長を兼任するなど、夢中になって過ごしました。
▲瀬戸キャンパスでの思い出
―瀬戸キャンパスが閉鎖される年の大学祭で、花火大会を開催されたと伺いました。前代未聞の企画ということで、大変なことも多かったと思いますが、いかがでしたか?
キャンパスが閉鎖になるにあたり、OBOGや地域の方にとって印象に残る最後の思い出を作りたいと考えて企画しました。「みんなが楽しめる企画ってなんだろう」というところからスタートし、「せっかくだから今までにやったことがないことをやろう」とメンバー間で意見を出し合って、花火大会に決まりました。
委員会メンバーの知り合いに花火師の方がいたことで、企画自体はスムーズでしたが、キャンパス内での火気使用許可をとるのが大変で…。一般的な打ち上げ花火だと、海上から打ち上げることが多いのですが、この時は大学のグラウンドが打ち上げ場所だったので、立ち入り禁止区域に人が間違って入らないように警備員の配置を計画したり、消防車に待機してもらうために掛け合ったり。書類を作って打ち合わせをして、また書類を作っての繰り返しでした。ビラを作って、近隣の方に1軒1軒ご挨拶に伺ったりもしましたね。
花火は全部で300発。私が選曲した音楽と一緒に打ち上げられて、それがぴったり合っていてとても感動したのを覚えています。
▲大学祭実行委員として花火大会を開催
―大学祭以外にも、マレーシアNAPに参加したり、教職課程をとったりするなど、たくさんのことに挑戦されたと伺いました。
はい。どちらも高校時代の経験がきっかけになっています。
高校生の時に、インドネシアで行われたアートマイル環太平洋環境ユースサミットに参加したのですが、現地の学生が勉強中の日本語で一生懸命伝えようとしてくれたのがうれしくて! 私も彼らのように語学を学んでコミュニケーションをとりたいと思い、マレーシアNAPに参加しました。
教職課程をとると決めたのは、高校時代の恩師の影響が大きいですね。インドネシアのサミット参加をはじめ、先生方がいろいろな場を作ってくれたことで世界が広がったなと思っているので、私自身も「誰かにきっかけを与えられる人」になるための選択肢の一つとして教職をとりました。大学祭実行委員の活動やアルバイトなどで忙しくはありましたが、同じ授業をとる仲間と一緒に励ましあいながら頑張ったのはいい思い出です。
―それらの経験が今に生きているなと感じることはありますか?
もちろんあります。インターン生と一緒にプロジェクトを進める時や、中学校に職業講話に行く時など、人前で話す機会があった時。「教えることはどんな仕事にも役に立つ」と思って履修した教職課程での経験が、いろいろな場面で生きているなと実感しています。
―現在のお仕事内容についても教えていただけますか?
今は船橋株式会社という、雨合羽や防水エプロンを作る会社で働いています。業務の幅が広く、一言で仕事内容をまとめるのは難しいのですが、採用や広報、新規事業などがメインの仕事です。あとは「社長のミギウデ」として、経営方針書の作成や壁打ちをやることもありますね。
▲お仕事中の様子(漁師さんへヒアリング、採用イベント)
―「社長のミギウデ」という役職は初めて耳にしました。どんな役割なのでしょうか?
「インターン生と新商品を作りたい」「工場を新しくしたい」「社内の組織をこうしたい」といった社長の夢を実現するために、階段を作るのが役目ですね。もともとは違うポジションでの採用だったのですが、内定後にアルバイトとして出勤していた時に社長から声を掛けられ、その下で新しいことに取り組む「社長のミギウデ」としての仕事がスタートしました。
新しいことばかりやっているので、誰もやり方が分からない、正解がどこにもないということがほとんどで、常に手探り状態。なので、本を読んだり、セミナーへ通ったり、インターンやプロボノに参加している人たちと話をしたりと、会社の外へ答えを探しに行くことも多いですね。
―特に印象に残っているプロジェクトについて教えてください。
コロナ禍でのガウン製造です。社長の知り合いの病院から、「ガウンの不足が予測できるが、御社で製造することはできないか?」と声がかかったのがきっかけです。試作を行い早々に生産にかかるも、自社だけでは到底不足量を生産しきれないと分かり、新聞社にお願いをして、協力先募集の記事を掲載してもらいました。それを見たトヨタ自動車の方が電話で協力を申し出てくれました。その後も「うちも手伝いたい」という電話が止まらず、最終的には東海地域の中小企業7社で協力し、自社だけでは500枚だった生産量が100倍の5万枚にまでなりました。さらに、その時の様子がトヨタイムズにも掲載され、豊田章男会長が弊社まで激励に来てくださって! あの時の感動は一生忘れられません。
―それは励みになりますよね。大谷さんが大賞を受賞された「ルーキー・オブ・ザ・イヤーin LOCAL2024」のお話も聞かせてください。
「全国のローカル企業で働く若手社員にスポットライトを当てよう」と2024年から始まったもので、偶然公募を目にして応募することにしました。私以外の参加者は1~2年目の方がほとんどだったので、「6年目の私にしかできない話をしよう」と会社のビフォーアフターを中心にプレゼン。いわゆる町工場だった会社が、6年の間にどのように変化していったのかをお話ししました。振り返ると、社長と他の社員の間に挟まれて大変な思いをすることもありましたが、今はいろいろな人におもしろいね、社長の支えになっているんだろうねと言ってもらえる―頑張ってきてよかったなと改めて感じる機会にもなりました。
▲「ルーキー・オブ・ザ・イヤーin LOCAL2024」で大賞を受賞(左:船橋株式会社 舟橋社長)
―最後に、後輩へのメッセージをお願いします。
周りに反対されたとしても、それが自分で納得して選んだ道であれば、あきらめずに頑張ってほしいなと思います。
私も会社を選ぶ時、周りに賛成してくれる人がいなくて、少し寂しい思いもしましたが、それが逆にやる気に繋がったところも大きくて。自分で「これだ」と決めて、それを正解にするために行動していけば、結果はきちんとついてくるから大丈夫だよと伝えたいです。